久々のブログ更新です。
いやー。
色々あったんです。
4月8日から御徒町の工場とか工具やさんの営業日が週に3日とかになり、パーツ屋さんとか
そのほかもそれに合わせたかのように週に3日になったところが増え、石屋さんも完全に閉めてしまってい
るところも増え。
いくら私が全部アトリエで手作りをすると言っても、メレーの色石を買うとか、メッキとか鋳造は
工場に出すわけで、お尻(納品日)の決まっているハレ関連のご依頼品や、百貨店さんへ納めなければ
ならない受注品どうすんだこれ。。と。
可能な限り、工賃合わない(大赤字)けれど、地金からも時間があれば加工できるので
ワックス作業を板から作る方法に変えられるものは変えて、コツコツ制作してはお納めして
インスタに投稿したりしていたわけです。
5月の連休は、ショップ営業はせず、お納めに備えて製作しなければと思っていた5月1日金曜日の17時前。
父の容態がと訪問介護の方から電話が。
母が電話したようで駆けつけてくれて居て。
金曜日でしたがアトリエの予約はなかったので自転車飛ばして急いで家に帰るとお嫁さんも到着。
救急車を呼ぼうにも、父の熱を測ると38度を超えていて、主治医に電話すると今救急車呼ぶとたらい回しということで、
父を担いでお嫁さんの乗ってきた車に乗せ、お嫁さん父と病院へ。
私は母の状態を確認していたところ旦那が早く車で帰宅したので弟を拾い病院へ。
年始に慢性心不全と言われ、私がツーソンにいる間に一度覚悟をと言われていたのですが、
今回はそれに加え、昔からの持病の腎臓や肝臓、その他諸々。
CTを取ると肺は肺炎ではなく、肺気腫とあとパチンコ玉サイズの小さな腫瘍。
これは今更これが原因で何か起きるより他の臓器の方が大問題ということで、入院となりました。
(ごねて30分以上弟と旦那と説得)
入院も、どうにかさせていただいたのですが、それも、本来は専門医が連休のため居ないなどがあったので
第1救急へ行く方がいいと言われたのですが、コロナのため今そういう病状の患者さんが救急車で運んでもらえないんですよ。
受け入れてももらえない。
20時だったのですが、その時点でその病院から救急車で出ても、受け入れてもらえる病院を探すのに
時間がかかり、めちゃ遠くだったりして明け方くらいになるよ?その間危険だよ?と。
入院の手続きを終えて帰宅したのが1時半とか。夕飯食べて明け方3時とか。
連休中は、もしもの時は連絡をするのですぐに来られる準備をしておいてくれ、と言われ。
翌日もうダメかもと言われ、翌々日おしっこが出なくなってきたから、覚悟してくれと言われ。
そんな毎日でした。
朝出社し、制作し、少し早めに切り上げて買い物行き夕飯作る。(旦那全く炊事しない。旦那は連休w)
それが、峠を越えたようだ、と言われたのが5日の夕方あたり。
そんな翌日。6日の22時ごろ。
私が家でパソコンの前に座り、旦那がお風呂から出てきたとき。
ビールの匂いと、歳とった人の匂い。その独特の匂いだけが、目の前を横切った。
ふわっと。
旦那に思わず、父はもいダメだと思う、今匂いが横切った。ビールの匂いみたいなの、と。
うちは、旦那が飲まず、私はビールが苦手で飲めない。
そんな家でそんな匂いがするわけない。
父が飲んで居たのは缶酎ハイ。昔ビールを飲んで居たけど。
旦那に「弟に電話してみろ」と言われ連絡をとると、病院からは何も聞いて居ないと。
7日明け方4時頃、旦那の携帯が鳴り、女性の慌てた声がかすかに聞こえた。旦那が、え?ダメなの?と
応えている。
瞬時に私はあぁ、私に電話がくるとパニックになると心配した弟が、お嫁さんに旦那の方に電話させたんだな、
と思って起きて支度を始めようとしたら、
「違う、かどみちゃん、お父さんじゃない、うちの親父がダメかもしれない」と。
旦那が支度して出かけて行き、病院に運ばれて亡くなられたと聞いたのは朝でした。
御徒町を周り、その後警察も帰られたということでお伺いしてお顔を見に行きました。
2日間ほど体調が悪くて、病院へ行きたいけれど連休中だしコロナも怖いから、連休の開ける
7日に病院へ行こう、と話して居たんだそう。
7日朝に亡くなられて、9日が友引だったため10日にお通夜、11日に告別式でした。
そこで聞いたのは、お義父さん、亡くなられる1週間ほど前から、ビールを1日1缶、美味しそうに飲まれて居たと。
しばらく年始に少し飲まれる以外は飲まなかった、お若い頃は好きだったビールを、飲みたいなぁと
小さい缶を飲まれて居たんだそうです。
虫の知らせだったのかな。
ビールの匂い。うちでは絶対にするはずのない匂い。
実父の方は、今も入院中です。
状態は改善しているものの、国で定められた入院期間というものがある。
家で看るのは難しいのではないかと病院で弟夫婦が言われ、今色々な方法を模索している。
いや、模索をしているのは私だけなのかもしれない。
弟はもう、模索もして居ないのかもしれない。
父が入院する時に家がいいとごねた、あの「命がけでごねた」感じを見ていると、私は義父のように
家で最後を迎えさせてあげたい気もする。
今は色々な選択肢があるような気がするんだよな。コロナに邪魔はされるけど。
でも施設しかないのかな。
施設だと間違いなくもっと長く生きられる。でも父はそれを望んでない。
むー。
毎日パソコンの前に座り、夜な夜な施設とか調べる毎日。
訪問で夜に来てくれる看護介護もある。
視野はいつも広く。選択肢はたくさんあったほうがいい。
持続型給付金の申請はやった、店舗の給付金の書類のために青色申告会に行かなきゃ、
そういうのも忘れずに全部やらなきゃ。予約してやっと来週だ。
母のところへは1日最低3回顔を出す。
欲しい食べ物があれば買っていく。それを探すのがコロナで店が閉まっているから大変だ。
母は食べられるときに食べないと、全く食べなくなってしまう。
頭がパンクしそうな日々であります。
あぁこれが人生ってやつね。
ハナは毎日笑顔だし、私も毎日時間を見つけては手を動かす。
そんな2020年5月です。